―― 公瑾さんは意外と表情が豊かだ。 花の公瑾観察日記 「ですから、その案件については承諾しかねますと申し上げているのですが。」 「しかし!」 京城の公瑾の執務室にに響く冷ややかな声に花は部屋の隅で小さくなりながらちらっと公瑾の表情を盗み見た。 (あ、ものすごくうっとうしそう。) にこにこ笑っているふうに見えて表情が固まっているのを見て取って、花はこっそり肩をすくめた。 こちらの世界に残り、公瑾の手伝いを始めるようになってこういう場面に出くわすことも多くなったせいか最近花は気が付いた事がある。 公瑾の笑顔にも種類があることに。 (そう言えば出会ったばかりはよくわからないけど疑われてるとか馬鹿にされてるとか感じたけど。) 思い出す記憶の中の公瑾がどれも笑顔であるにも関わらず、だ。 その頃は笑顔に種類なんて考えもしなかったが、もしかしたら本能的にかぎ取っていたのかも知れない。 「再三申し上げていますが、これ以上の問答は不要です。」 「ですが、周都督!我らは必要と思って!」 「必要?」 ぴくっと公瑾の表情が動く。 (あ、怒った。) ちらちら見ていた視線を花は慌てて清書中の書簡にもどした。 怒った公瑾は笑顔でありながら、凍り付くような眼差しを相手に向ける。 ハッキリ言ってあんまり心臓に良いとは言えない。 というわけで、回避した花の耳に予想通り不機嫌を通り越して、蔑みさえ含んだ声が聞こえた。 「私を納得させられない程度の必要性など取るに足りません。そんなものの為に割く時間など生憎私も、我が軍も持ち合わせていないのですよ。貴方もきちんとした説明を出来ないというのに言葉だけで納得させようなどと言う愚行を繰り返すのであれば、今の任も考え直さねばいけませんね。」 「うっ・・・・」 先ほどからやりとりの一部始終を聞いていて、公瑾の言う事が正しいと分かっている花だったが呻いた官吏に一瞬同情してしまった。 (公瑾さんのあの言い方ってグサッとくるもんね。) なまじ過去に経験があるだけに、抉られ感はよくわかる。 とはいえ、もちろん花の出る幕ではないので黙っていると、やがて諦めたのか官吏が立ち上がる音がして。 「し、失礼致します・・・・」 落胆と少々の怯えをにじませた声と共に扉が閉まったところで、花は顔を上げた。 その途端、ぱちんっと漆黒の瞳と目が合って、花はふにゃっと笑った。 「お疲れ様です。」 「・・・・本当ですよ。」 はあ、とため息をはき出した顔は笑顔だったけれど、如実に呆れと疲れがにじみ出ている。 「まったくどうしてこうも無能な人間ばかり揃っているのか理解できません。」 「無能って、公瑾さんに比べたら誰だって無能になっちゃいますよ。」 苦笑で答えながら、珍しくあけすけな愚痴が飛び出した事に花は少し驚いた。 恋人になってからというもの、花には本音を漏らすことも多くなった公瑾だがそれでもまだまだ(二喬に言わせると)格好つけたいらしく、こういう愚痴の類はあまり聞かない。 故に新鮮さを感じて花は目を丸くしたのだが、それが公瑾には呆れたように見えたらしい。 さっきまで浮かべていた形ばかりの笑顔を貼り付けてついっとそっぽをむく。 けれどその笑顔は。 (・・・・拗ねてる?) 自分より大分年上の男性にこの表現はどうかと思うが、公瑾は時々、そうとしか表現できない態度を取る。 そして今がまさにそんな感じで。 「・・・・・・・・」 動かしていた手を止めて、花はじいっと公瑾を見つめた。 何事もなかったかのように官吏が来る前にやっていた書簡の仕事に戻った公瑾は、穏やかそうな顔をしているものの花の方を見ないようにしているのは明らかだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 (そう言えば、あの人が来る前にあの書簡が終わったら・・・・) 「・・・・あ」 ある事を思いだして、思わずころっと転げ出た花の声に公瑾の頬がぴくっと動いた。 じっと見つめていた花がその変化を見逃すはずもない。 「そう言えば」 ぴくっと、また揺れる。 「あの方が来る前に言ってましたね。」 ぴくぴくっと、取り繕っていた表情が少しずつ崩れる様が妙に素直でおかしくて、とうとう花は吹き出してしまった。 「っ!花!」 「ご、ごめんなさい。だって・・・・」 くすくす、と零れてしまう笑いを堪えきれない花を前に公瑾は笑顔を手放して顔をしかめた。 それは普段穏やかな公瑾だけ見ている人間にしてみると、怒らせたかとひやりとするような変化だったが、花はかえっておかしそうに肩を振るわせた。 そして筆を置いて机を離れると、休息用に置いてある長椅子の端に座って。 「約束でしたもんね。はい、どうぞ。」 そう言って花がぽんっと叩いたのは座った腿。 その瞬間、公瑾は僅かに目を見開いた。 漆黒の瞳が迷うように小さく揺れて・・・・。 「貴方の事ですから、忘れてしまったかと思いました。」 結果、公瑾の口から出た言葉に、花は笑った。 (相変わらず素直じゃないなあ。) そんな風に思ったのがばれてしまったのか、公瑾は非常に嫌そうに眉間に皺を寄せる。 と、いうものの、人間表情というのは取り繕えても、顔色というものは無理らしいと最近花は知った。 だから。 「公瑾さんとの約束は忘れません。だから、私の膝枕なんかで良ければ、どうぞ休憩してください。」 こっちが素直に返してしまえば、返って悔しそうな顔をする。 ―― そしてそんな顔が結構好き、なんて言ったら公瑾はどんな顔を見せるのだろう。 「あ、貴女はなんでもかんでも聞きすぎですよ。少しは危機感を持ちなさい。」 「あれ?いらないんですか?それならお茶でも。」 「待ちなさい。」 腰を浮かしかけた花の手を公瑾が慌てて掴む。 そして、きょとんっと見返す花の視線に耐えられなくなったようにそっぽを向いてぼそっと言った。 「・・・・別に、したくないと言っているわけではありません。」 ―― 笑顔、厳しい顔、拗ねた顔、冷たい顔、照れ隠しの顔・・・・そして甘えた顔。 (ああ、ほんとに・・・・) 公瑾さんは表情が意外と豊かで。 (―― 心臓に悪い。) うっかり間近で見てしまって跳ね上がった鼓動に花はこっそり苦笑した。 そして、表情が読めるようになってしまってから・・・・前にも増して公瑾に弱くなった事を自覚しながら。 浮かせた腰を、再び下ろしたのだった。 〜 終 〜 |